(家族、ポケモン、ロケット団、昇進のチャンス、、)

 

*

 

 彼はロケット団員、23歳、組織の中では下っ端だった。彼のパーティには、まだ生まれて間もないアーボと歯も生えそろわないコラッタがいた。そんな彼が大した戦力になるはずもなく、彼はロケット団がその体勢を立て直すべく設置されたある基地で、主に賄いを担当していた。
 そしてある夜、ナゾノクサも眠り込むような時刻に、彼は上司に起こされ厨房に立っていた。これが同僚なら、只じゃおかないといったところであるが、彼はその人物を尊敬していたので、用を言いつけられたことを寧ろ喜んだほどだった。かつてのボス、サカキの数少ない側近のひとりだったその幹部のパーティは、アーボックにラッタ、自分の手持ちの進化系ばかりであるということも、彼がその人物を敬愛した理由の一つであるかもしれない。

「少し小腹が空きましてね。何か軽いものを作ってくれませんか?」

 彼は、相手の人物が見せる冷たい笑顔に憧れていた。特に、ポケモンに悪事を(彼自身にはそれを辛うじて悪と断定できる判断力が残っていた)働かせているときの、満足げな表情が、彼の心の奥底を暗く照らし出し、その度に、彼はまるで自分までも沈み込むような心地よさを味わっていたのだった。
 彼はエプロンや三角巾で身支度を整える。材料を取り出し、調理にかかった。ロケット団はけして小さな組織ではないけれど、頭を失った今、臨時の基地には大した食料もなかった。しかし彼は元より上品な家の出ではないので、作れるもののレパートリーがそれでどうこうなるわけではなかった。フライパンを出しコンロに火をつける。慣れた手付きで材料に調味し火を通す。一連の手さばきを、幹部の人物はどこか真剣な眼差しで見つめていた。

 

「相変わらず、料理を作るのが上手いですね」
「別に…料理ってもんでもないすけど。下に兄妹が多かったもんで、こんなのしか作れなくて」
「そうですか?謙遜を…」

 それきり黙り込む幹部の顔色を伺い、もしや家族の話はまずかったろうかと思う。何せここにいるのは、少なくとも社会のはぐれ者なのであり、家族に対してどのような感情を抱いているかなど一般論では片づけきれないのだ。本来なら最初から気にかけていなければならないことを、彼は嬉しさと緊張のあまりすっかり忘れていた。彼にはいつもその類の要領の悪さがあって、それが彼の昇進を妨げていると言っても過言ではなかった。
 ああまたやっちまった、そんなことを考えていると、手元のフライパンから焦げ臭い匂いがして、慌てて火を止めた。流石にここまで失敗するわけにはいかない。

 

「……」
「…あのう、オレ、なんかマズいこと言いました?…」
 皿に盛りつけながら、怖ず怖ずと、彼は尋ねる。
「…いえ、気にすることはないんですよ。
 ただ、私も少し家族のことなどを思いましてね」
「家族…両親とかっすか?」
「私に両親の記憶はありません」
 彼は手に持つフライパンを落としそうになる。
「すっ、すんませっ…じゃ、ご兄弟とか…」
「妹は野生のデルビルに噛み殺されました。私が8歳のときに」
「……」

 相手は例の、底知れぬ笑みを浮かべて、

 

「…君に、話があります」
「!」

 

 機嫌を損ねたのだろうか、----------ああ、自分はここでも駄目なのか。そう思った、それが諦めなのか何なのか、彼自身にも解らなかった。別段ポケモンに愛着があるわけではないが、好き好んで非道を繰り返してきたわけでもない。それでも虐待とも言えるような非道い行いをし続けたのは、ただこの世界で生きていくためだったのに。いや、それとも、その考え自体がこの闇世界では通用しなかったのか。自分のような善にも悪にも染まりきれないような中途半端な人間は、所詮どう足掻いても下っ端止まり、ということなのだろうか。様々な思いが彼の頭を駆けめぐる。
 相手は目を瞑り、ゆっくりと口を開いた。

 

 

----------------私と、結婚しませんか?」

 

 

 一瞬何の話か理解できなかったが、彼の目が丸くなるのはすぐだった。

 

「は、…はぁっ!?…な、何言ってるんすか!?冗談は…」
「私が冗談を言ったことが、今までに一度でもありましたか?」

 彼は真面目に回想する。この冷酷非情な上司が巫山戯る場面を必死で思い出そうとするが、どうしたって想像すら出来ない。ヘルガーはピッピに噛み付くだろう。間違ってもペルシアンが捕まえたポッポを慈しむなんてことはないのだ。

 

「…え、その、あの、でもですね、…」
 しどろもどろになって右往左往する彼に、相手は食器を寄越すよう合図した。普段の表情に戻っている相手を見て(そもそも表情の変化なんか気のせいだったのかもしれないと彼は思った)、彼は一瞬だけ普段の自分を取り戻し、大急ぎで箸を取って手渡す。相手はすかさずその差し出された手を捉え、ぐいと手前に引っ張り、半ば強引に自分の唇を彼のそれに押し付けた。そして彼が気付いたときには、唇は静かに離されていた。彼は身体中の力が抜けていくのを感じ、その場にくずおれる。

 

「食前酒の代わり、です」

 

 相手は何事もなかったかのように椅子に座り直し、食事を始めた。‘いただきますのキス’とでも言うべきでしたかね、とか、この料理の腕を放っておくのは惜しい、とか、相手が何やら呟く斜め前で、彼は手で口を覆って床に座り込んだまま、ひたすら状況の把握に腐心していた。

 

(家族、ポケモン、ロケット団、昇進のチャンス、、)

 

 机の脚がぐにゃりと歪んで、世界が渦巻いた。暫くの後、幹部は食事を終えて立ち上がり、尚も身体の痺れから立ち直れないでいる彼を一瞥して、

「返事は、急ぎません」

 しかし願わくば貴男が私の‘家族’になってくれますことを、と言い残して去った。

 

(家族、ポケモン、ロケット団、昇進のチャンス、、)

 

「…どうしろって、いうんだよ…」

 複雑な思いを抱えて彼だけが何時までも其処に蹲っていた。夜明け前、デルビルの遠吠えがあちこちから聞こえ始めていた。