彼が現れた、その頃にはまだぼくの元に送られてきたチョコレートも3、4個程度だったと思う。もっとも、今では桃色やら水色やらのリボンがあしらわれた箱の数はぼくの部屋を埋め尽くしてしまうほどらしいのだけれど。
 今日のエンジュジムは、女の子にプレゼントを貰うことに大わらわだった。何の特別な日なのか、毎年この日になると、私の気持ちです、みんながそう言ってぼくにお菓子を渡していく。ぼくはそれを、その子が去っていった後にこっそり、適当なところに片づけておいてと言って、それっきり結局は放って置いてしまうのだった。だけど今回は甘いモノが大好きなぼくの友人がそれらを引き受けてくれるらしかった。
 そういうわけで彼は朝からずっと、無表情でそれらを食べ続けている。もう日も暮れようとしているというのに、贈り物は已むところを知らず、漸く最後の一人から受け取り終わって彼に顔を合わせられたときにはとっぷり日が暮れていて、彼は早くも帰り支度を整えていた。

「行ってしまうのかい?…」

 夕食に誘ってくれた子もいたけど、きみの為に断ったんだよ。その言葉を喉元で飲み込んだ。
 彼はぼくの手にしている箱を差し出すよう促した。ぼくはそれに従う。箱を受け取った彼は、重みを確かめるようにそれを上下させたあと持参した袋に投げ込んだ。

「…これで全部か?」
「ああ」
「では頂いていくことにする。またな」

 そそくさと出ていこうとする彼の腕を、ぼくは思わず掴んでいた。

「それはないんじゃないか?貰うだけ貰って、さよなら、なんて」
「……」

 彼は珍しく黙り込んで、鬱陶しげにぼくを見た。何だって今日はこんなに不機嫌なのだろう。ぼくは女の子が訪れる合間を縫って彼の顔を伺いに部屋へ戻っていたが、彼はぼくを一瞥もしないで、黙々と手渡される甘味を貪るばかりだった。

「…ミナキくん、」

 掴んだ腕を引っ張って、顎に手をやって、ぼくは彼に口付けようとした。だが彼は身を捩ってそれを拒んだ。
 頭にかっと血が上ったのを、ぼくは感じた。彼は一瞬怯えたような目をして、それこそ手品のようにするりとぼくの腕から擦り抜けた。しかしぼくの眼はそれより速く動きを捉えた。再び捕まってしまっても、口をつぐんだまま何も語ろうとしない彼を見て、ぼくは益々苛立った。

「、…ぼくのことが嫌いになった?…」
「……」 彼は首を振る。
「…キスが、厭になった?」
「……違う。でも、今は、駄目だ」
「どうして…?」

 彼は口元に手をやって、唇を一舐めした。

「…チョコレートの味が残っているから、だ」
「ぼくは別に、構わないけど」
「…私が、構う」
「どういうことさ」

 だから、その、と彼は言葉を濁した。

「…今日が何の日か知っているか?」
「何だっけ」
「バレンタインデーといってな、詳しい説明は後でするが、この国では女性が男性にチョコレートなどを渡して愛の告白をする日なのだ」
「ふうん。甘党の君にはおいしい日だろうね。だからぼくのところへ来たんだろう?」
「…まあ、そういうことだが、だな、…私が思ったのは」

 そこで彼は咳払いをして、お菓子の詰まった袋を見遣り、照れくさそうに、

 

「これらの想いのたった一つでも、君に届かせてなるものか、と」

 

 それだけだ、一転ぼくは消えゆく声をとても愛おしく思って、次の瞬間には、彼をこの腕で抱き竦めていた。
 …だいすきな、ぼくのバレンタイン。