胃ろうの漏れがひどくなり、平成13年10月24日に入浴の帰りに生協病院に入院しました。入院予定は胃ろうの穴が小さくなれば帰れるから、二週間位で退院できるだろうと軽い気持で行きました。入院した日にすぐガストロチューブを抜いて、胃ろうに綿球をあててガーゼを乗せテープ貼って穴を小さくする治療です。胃ろうが使えないから栄養は点滴(IV H)です。最初の夜から治療するが、胃ろうから胃液が噴き出してガーゼが胃液でベットリ濡れ凍みて痛い、ガーゼ交換してもらっても30分間もたない、それでも早く治したいから我慢するが、胃液が漏れると痛くて脂汗をかきながら狂う、夜は寝られないし、あまりの痛さに頭が狂いそうになる。一週間いろいろな手を尽し治療してくれましたが、良くならずに胃ろうの周りがタダレひどい状態になっているとヘルパーさんに聞くとガッカリ、とにかく胃液が漏れないようにして欲しいと先生に頼みました。それから低圧真空で胃液を漏れないようにするが、真空のチューブを胃液の中へ浸けてしまうと、胃液が吸い上げなくなり、漏れて痛くなる。いろいろ考えた末、胃ろうの口まで真空のチューブを引き上げ、胃液があふれそうになると胃液を吸い上げるようにすると、うまくいき痛みから逃れられる。こうして、約一ヶ月ほど低圧真空で胃液を吸引しながら、胃ろうの穴を小さくしました。穴は小さくなりましたが、穴の周りの肉が薄くなりペラペラで、ガストロチューブを入れると、すぐに穴が広がってしまい胃液が漏れ出してくる。せっかく一ヶ月間も苦労して小さくしたのに、一晩で元の大きな穴になってしまうのかと、ショックで落ち込みました。こんな事をしていると、いつ家に帰られるか分からないと思い、主治医に再胃ろう手術の決心がつきましたと言いました。主治医は早速手術の手配をしてくれる。
「最初の胃ろうは切開して作りました」最初から漏れが多く調子が悪かった。「胃ろうを作る場所にもあるのかな」再胃ろう造設手術は、内視鏡でしてくれるように頼みました。まだ、生協病院で内視鏡で胃漏の手術をしたことが無い、私が初めて内視鏡で手術でした。海南市民病院から内視鏡手術にベテランの先生を呼んで手術をすることになり、年末の忙しい日にしました。
手術日に熱が出ないか心配でした。と言うのは点滴(IVH)をして一ヶ月経ちましたから、毎日、夕方から37度5分の熱が出てきました。これまで痛みが激しく眠れない日が多かったので、眠れない夜はホリドンを注射して寝ていました。癖になるといけないので、なるべく薬を使わないよう我慢していたのに、数回注射しただけなのにホリドンが効かなくなってきました。再胃ろう造設手術の日はホリドンの変わりにロピプノールを使う。
内視鏡手術は寝てる間に終るよと外科医は言って、手術の用意をしている。1時間半待って、やっと先生が着いたと連絡があり、先生が手術の用意をしてる間に胃カメラを挿入しておくのに、口が開かないから歯磨きの時に使う開口器で口を開けてカメラを挿入する。いよいよ手術に先生が来て言った「二回目かこんな患者は初めてや」すぐにロピプノールを流すが眠気もこない。胃ろうを作る所に麻酔をしますよと言って、チクリチクリと二個所に麻酔をうつなり、胃ろうの穴をあける器具が五寸釘のような器具でつかれると痛過ぎるから麻酔が効いてないと、点滴に目をやり、痛いと付添の妻に顔をしかめて訴える。妻が大声で麻酔が効いてないと言うが手術は続行する、先生は体重をかけてグット押すとプスという感じで器具が入る。その時、麻酔が効いてないから、今まで味わった事がない痛さだった。「もう少し痛みが長かったら失神していただろう!」まえの胃ろうを縫い直して約40分の手術だった。手術が終ると眠くなり、気がつくと病室へ帰っていた。痛みがあったから、痛み止めを注射してもらうと、また眠ってしまう。どうして麻酔が効くのが悪いのだろう!
私が生協病院で内視鏡胃ろう造設手術第一号で無事に終り、あくる日から外科医がブスブスと内視鏡胃ろう造設手術でしています。外科医が病室へ来て”お陰様”でうまくできるようになりましたと、お礼を言いに来てくれました。その時は役に立てたと嬉しくなりました。
私もまえの胃ろうがふさがれば、退院するのも後少しと元気が出てきました。ところが、まえの胃ろうがふさがらなく、縫い直しても縫い直しても、経管栄養を注入し始めると漏れてくる。もう6回も縫い直した。外科医も頭をかかえて、今まで何人も胃ろうを閉じたけど、和中さんのようなの初めてだと困った様子でした。7回目に胃漏の上下で3センチほど切開をして、悪い所を切り取り縫い合わせました。その時に麻酔は普通の人より倍位してもらう、手術中にも痛くなると麻酔を追加してもらいました。今度は胃袋と皮膚で二層縫いをしていますから大丈夫と言ってくれました。確かに丁寧に細かく縫い合わせてくれいる。今までと違っていい感じだよと先生が言いました。緊張がきついから傷口が開かないよう腹帯を絞めると、呼吸が苦しく我慢できないからゆるめてもらう。あまり効果が無いから、今度は部分的にテープで引っ張る。この方が我慢できる。 これで治って家に帰れるか?私は半信半疑でした。約一ヶ月経つから、もう注入食を入れてもいいやろと先生が言った。エンシュアリキッドを薄めて100mlから注入したと思います。まだ傷の糸が抜いていない、不安をかかえながら注入食を注入して二日目にやっぱり漏れた。先生もショック、私は大ショックで涙をポロポロ流しながら「もう家に帰れない」と泣きました。早く点滴(IVH)を外したい、もう退院できないと諦めかけていた。どうなってもいいわとふてくされていました。三ヶ月余り点滴(IVH)だけでいると、いろいろと障害が出てきます、発熱はもちろん、尿に緑膿菌と院内感染(MRSA)にも血液検査で1回引っ掛かった。点滴で40度を越える熱が出て、亡くなった母の幻覚を見ました。「まだ来たらあかんと手を横に振っていた」さすがに40度を越える熱にはまいった体がぐったり、精神的にもダメージが大きかった。
11月になると暖房が入るから病室が乾燥して、カニューレに痰が付着し空気の通りが悪く息苦しくなるから、主治医が加湿器を着けてくれ、至急にフジアールシーに純正の加湿器を注文してくれました。あくる日の夜、加湿器を付けにきてくれました。加湿器の温度設定を最初は3に設定しましたが、点滴(IVH)だけで生活をしていると痰が普通より粘く、加湿器の温度設定4にあげると痰が奇麗に取れるようになり、カニューレの痰が詰まりも解決しました。加湿器を着けたお陰でカニューレ交換が二週間に1回に落ち着きました。それまでは一週間もたずに、ひんぱんに交換してもらっていた。少しでもいい胃ろうから食事を入れやなあかんなと思いました。
最後の手段で腹を切らないと治しようが無いから、外科医に腹を切るのやったら早くしてと頼みました。手術日は二週間予定が詰まっているしと言われる。皆から早く早くしてと先生を困らせました。「妻は自分の手術と違うから先生次の手術日に早くしてと無理に頼んでる」私の心の準備も考えないで、もう入院生活も長いから、みんな帰りたいばかりで、先生の顔を見ると「早くして〜早くして〜」と言っている。手術するのワシやちゅ〜ね、勝手に決めようとしている。それで手術日が1週間早くなりました。
手術日当日に前の方がキャンセルになり、夕方する予定が午後1時からになりました。それで昼前から急いで手術の準備をするが、まだ心の準備ができていないのにと思いながら諦める。前もって主治医と外科医に麻酔の効きが悪いことを言っていますが、妻も念を押して麻酔は多い目にしてよと先生に頼んでいました。全身麻酔やから間違いなしに効くよと外科医が説明をしてくれる。全身麻酔は生まれて初めてのことで、麻酔が覚めるとパソコンを打つ親指が、いつものように動くか心配でした。もし動かなくなっていたらどうしようと、その事が気掛かりでした。
いよいよ手術室へ、外科医2名と看護師3名で手術をおこなう。まず導尿の管を入れ、腹全体イソジン消毒冷たい、それから麻酔をするとフーット気持良くなり眠る。メスを入れる感じがスーットすると後は完全に眠ってしまった。気がつくと胃袋を寄せていた。あっいたたたたたと思い、目を開けようとしても麻酔が効いて瞼が動かない、意識だけが目が覚まし痛みもある程度感じる。胃と皮膚の悪い所をハサミで切ると痛みが差し込んで痛い、脈拍もピッピピピーっと速くなってきました。先生は『麻酔が切れてきたんか追加しょうか』と言って、麻酔を追加しても痛みは変わらない。麻酔が効いているといえども”ウーッ”とうなる程痛いから、早く手術が終って欲しいなと思うばかりでした。 外科医は、私の家に一番最初に訪問してくださった先生で、家の事情もよく知っている。今度こそ和中さんを家に帰れるようにしちゃらんと怒られる。皮膚を閉じる前に腹の中に忘れ物ないか調べて、使ったガーゼの数えて間違いないな。さーあ閉じようと言い皮膚を合わせると、あっここに穴があくな、穴があいたまま帰らせないと冗談半分に言った。もう先生に余裕の表情が出てきたように感じました。手術が終ると丁度1時間40分予定どおりに終った。あと消毒二イソジンを塗りたくってガーゼをあてて終り。看護師さんの一人が腹帯をするといいと言った。腹帯をすると息苦しくなるから、腹帯されたらまずいと心配でした。最後に先生が、麻酔よく効いてるなと言って、スタッフの皆さんに”ご苦労様”と挨拶をして手術室を後にしました。病室へ帰る途中にエレベーターの中で先生と妻が話をしているのまる聞こえ”よく寝てるやろ”これで家に帰れるなと話ながら病室に着きました。先生は病室で待っていた皆に手術の経過を説明して帰りました。看護師さんが処置に来ると、まあよく寝ているのと言いながら処置をしていく、早く麻酔からさめないかと瞼を開けようとするが動かない、1時間位たったころか瞼が開いた。見上げると皆の顔が私を見つめていました。丁度、外科医が麻酔からさめたか様子を見に来て、麻酔からさめた顔を見てホットした様子、明日から朝一番に消毒に来ますと言って帰りました。翌朝から抜糸するまで約2週間、朝7時に消毒に来てくれました。「麻酔がさめてパソコンを打てた時は嬉しかったです」
抜糸が終わってから薬を注入し始める。薬の注入量といっても50mlの白湯に溶かし注入、後押しの白湯を30ml注入しただけでお腹が一杯になる。腹の傷口の皮膚を見ると薄くて今にも破れそうと皆に言われ、私も不安になりました。主治医も食事はもう少し待とうと言い、経管栄養を注入始めたのが1ケ月後です。経管栄養を注入する前に胃ろうのチューブを太くしようと14フレンチ〜16フレンチに入れ替えると胃痛がして痛いと訴えると、主治医が大丈夫と言う、でも痛くて全身に脂汗をかいている。その夜に胃ろうがパチッと漏れた感じがしたから看てもらうと漏れたあとがない。それから急に痛みが無くなって楽になり少し眠れる。翌日、チューブを18フレンチにする時に、前に入れていたチューブを抜くとバルーンが破れていた。主治医はおかしいなと言いながら18フレンチのチューブを挿入すと、やっぱり痛く顔をしかめて”痛い”と訴えるが、主治医はチューブを抜いてくれない、胃袋はそんなに小さくなっていないから、これくらいのチューブは入るはずや、今は痛いが慣れると痛くなくなると言う、私もそうかいなと思い納得しましたが、でもやっぱり痛く脂汗をかいて眠れそうでない。我慢していると、夜中にまたパチッという感じがしてバルーンが破れたと言うて調べてもらうと破れていた。当直医が来てチューブを入れ替えてもらうが、痛みがひどくなるばかりなので、先生にチューブを抜いて痛すぎると言って、パソコンで「胃壁にチューブがあたって痛い」と説明するが主治医の指示通りにしておきますと言われました。主治医に連絡して何とかならないかと頼みましたが受け入れてもらえない。我慢するしかないかと思うと、またバルーンが破れたので、妻に頼んでチューブを少し引き上げてもらい楽になる。丁度、主治医は当直医だから4時になると呼んであげると看護師が言ってくれたときは嬉しかった。主治医が来るまでパソコンに伝えたい事を書いておきました。4時に主治医が来て胃ろうを診て炎症しているから、応急処置に吸引チューブと交換する。翌日にCTで胃の内部の大きさを調べてもらうと、胃の内部の直径3センチしかなかった。チューブを14フレンチに戻す。状態が落ち着いてから経管栄養の注入を始めるが、わずか50mlのエンシュアリキッドを注入すると満腹になり、三日間下痢で尻が痛い、胃ろうの痛みがなると、今度は尻が痛く、いつもどこかが痛い、入院してから痛みの我慢ばかりしている。もう4ヶ月間、歯をくいしばるばり我慢するばかりしていて、腹の底から笑ったことがない、こんな入院生活に嫌気がさして死にたいと思うのも当然、それだけ苦痛に襲われました。あまり下痢がひどいので注入食をエンシュアリキッドからアイソカルに変更すると、下痢が治まったが量が入らない、経管栄養を50ml〜70mlに増やしても、腹が張って息苦しくなる。こんな量で腹が張っていたら退院できるのはほど遠い、後二ヶ月はかかると予想していました。主治医が来て点滴を500cc減らし、その分、注入食を頑張って増やしてくださいと言いました。点滴を減らすと不思議と昼食を増やせます。4月まで後わずかになり、主治医に4月8日から付添人が無くなるから、それまで退院させてと頼みました。退院の準備をすすめ「診療所/訪問看護ステーション/ヘルパー派遣業者/看護主任」各一名ずつ参加してカウンセリングを至急おこなわれました。主治医は注入食をせめて一日に600ml注入できれば退院していいよと言ってくれました。カレンダーを見て退院の日を決めて、退院日まで600ml注入できるように頭に入れて逆算しながら注入する。まだ24時間の点滴(1500cc/1日)しながら注入食を増やしました。面白いように計算どおりに注入食を増やせ、退院日の二日前に予定していた注入食(アイソカル)1回/200ml+薬80mlが注入できるようになり、4月6日に逃げるように「24時間点滴(IVH)」をしながら退院しました。
今回の入院で思った事は、今までは胃ろうを勧めてきましたが、鼻にチューブを通して我慢できる方は鼻チューブの方がいいと思います。どうしても鼻チューブは具合が悪いという方は胃ろうにすればいいと思います。これから胃ろうを勧められた方は、一度、鼻チューブを試してから考えて欲しいと思います。
私は胃ろうが一生もつものと軽い考えてしたのが、大きな誤算でした。