有田郡有田川町杉野原



杉野原の概要と歴史
杉野原は、有田郡の奥地清水町の東端にあり、伊都郡花園村に隣接し、霊場高野山を源流とする有田川が弓の字のように蛇行して流れる段丘起伏ある集落の中に、上手番・神屋番・中村番・野中番の小字があり、現在の戸数六二戸、人口一八三人の僻郷である。 古代には、丹生神領・高野山領ともいわれ、岩垣(いわがき)上荘または阿氏河(あてがわ)上荘の中にあり、往古から杉樹の繁茂地とみられ、杉胴村・椙(すぎ)原村・杉原村などと見え、中世には領家と高野山との領有権の抗争、さらに地頭湯浅氏と農民との・・・・・ミミヲキリ、ハナヲソギ・・・・・の「阿氏河百姓等言上状」の波乱ある荘園歴史を秘めた地域である。 南北朝抗争の正平三年(1348)後村上天皇が吉野賀名生(よしのあのう)から、阿瀬川入道(湯浅)定仏の城へ行在(あんざい)せられた阿瀬川城は、野中番の「天子山」である。天皇は同年9月末まで潜在せらてらという。 近世には、山保田庄(組)のうち、「杉野原」となり、慶長検地帖では、家数43軒、田畑合せて26町2反6畝余、村高306石余、紙木814束、その他となっている。

雨錫寺全景

有田川沿いの幹線道路、県道有田〜高野線を杉野原に至り、右折して町道の吊橋を渡って坂道を登ると古刹雨錫寺に至る。

村のほぼ中心部に建立され


山の中腹に位置し、


集落を展望できます。









法雨山雨錫寺

高野山真言宗


本尊木造不動明王座像、座高27.5cm、南北朝応安2年(1369)在銘。


杉野原の菩提所一重寄棟造り瓦葺六間×八間




阿弥陀堂
国指定重要文化財



平成10年解体修理完了



本尊 阿弥陀如来座像
町指定文化財









阿弥陀堂全景
本尊は阿弥陀如来座像、56cm彩色一木造、上品上生印を結び平安時代の地方策。




脇仏は、西国三十三所観世音菩薩像。










杉野原の御田舞行事の由来。
現在 御田舞は隔年毎に、初午会式(大投餅)を兼ね、2月11日(建国記念日)に行われている。
「御田舞行事」の伝承は、諸説あり定かでないが、往古より隣接の花園村の中南・新子・北寺・梁瀬と、町域では、押手・杉野原・板尾・井谷・久野原の有田川沿いの九カ村の堂宇で、大同小異の「御田舞行事」が伝承されてきた。
時代の変遷と共に多くは廃絶−中止を幾度か繰り返し、現在行事を継続しているのは、花園村の御田の舞(梁瀬・国指定)、久野原の御田(県指定)、杉野原の御田舞(国指定)の三件だけで、往古からの舞殿(堂宇)が遺っいるのは杉野原の阿弥陀堂だけである。
杉野原御田舞行事は、昔より厳寒陰暦の正月六日、昼と夜の二回行われ、稲作りの「春田打」から、「籾摺り」まで、二十数通りの耕作過程を、舅が聟に教える所作を行い、当年は豊穣満作であれかしと郷民総出で神仏に祈願する「予祝行事」とみられ、田楽より発達した田遊びの一種と解されるが、そん伝承由来は推測の域をでない。
江戸期の御田台本の祝詞の中には、阿瀬川や地頭・本家・領家など荘園時代の詞章が見られ室町中期頃かとも考えられる。
なお当地方には、往古から落人たちによる堂座があり、オコナイ(修生会)堂徒(登・当・頭・塔)結的(けちまと)の式など、上湯川の幻の日光神宮寺を拠点とした神仏混合の修験道(御師・比丘・行人・聖)者によって伝授されたものと思われる。
「謡囃」の唄章には、熊野の伝承が濃厚に見える。


河津明神社

阿弥陀堂の裏、隣接の一段高い所にあり、杉野原の産土神社、御田の舞行事の「お渡り」の場所、慶長十九年(1614)遷座。





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