祇 王
ぎおう
生没年不明

『平家物語』の巻一に「祇王」という章があります。この章は権力の座に上り詰めた平清盛の非道さを 描くために後から挿入されたと考えられていますが、それだけに独立した女性の愁嘆話として多くの 物語の原型として貴重な位置を占めています。
従って、この話が事実か否かを詮索するのは野暮というものでしょう。ですが、軍記物としての平家 物語を彩る女性たちであることには違いありません。また、実際にあったかもしれない物語でもあり ます。
「祇王」の章は清盛をめぐる白拍子達の葛藤のドラマです。
白拍子というのは烏帽子をかぶり水干 を身につけて今様という流行歌を唄いながら舞う女性の芸能者のことです。

清盛が天下の権力を一手に握りわが世の春を謳歌していた頃、都で人気を博していたのが祇王・祇女と いう姉妹の白拍子でした。祇王は清盛に寵愛されて人も羨むような暮らしをしていました。館も与えら れ白拍子をやめさせた祇女に母。刀自の世話をさせて幸せな日々を送っていたのです。
ある日、若い白拍 子の仏が是非に自分の舞いを清盛に見て欲しいとやってきましたが、そうそうに門外に追い払われまし た。それを見た祇王は自分も同じ白拍子ですから気の毒に思って清盛に「一度くらい見てあげてくださ い」と進言します。
可愛い祇王の言うことならと清盛は仏を屋敷に招き入れました。
仏の舞いを見た清盛の心は仏に移ってしまいます。祇王の座を奪うという意図のない仏はしきりに辞退 するのですが、清盛は「祇王があるをはばかるか。その儀ならば祇王をこそいださめ」と祇王を追放す ることを命じました。
やむなく祇王は出ていくことにしますが、三年も住んだ所であり名残惜しさ もひとしおです。

萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋に逢はで果つべき

襖にこのような歌を書き残してから退出し、母の元へ帰っていきました。

里に戻った祇王は母の刀自や妹の祇女の問いかけにも答えずただ泣き伏すばかりでした。やがて毎月の 扶持も止められて生活は苦しくなり、代わって仏御前の縁者が富み栄えるようになりました。
祇王が清盛に暇を出されたと聞きつけて手紙や使者を遣わす男たちもいましたが、祇王は相手にする 気にもなれずただ、ただ涙にくれていました。
翌年の春、清盛からの使者がやってきました。清盛は退屈している仏を慰めるために祇王に仏の前で 歌舞を披露しろと言ってきたのです。祇王はあまりの屈辱に行くことを拒否します。 けれども、刀自に「男女の仲のはかなさは世の習い。この天が下にある限り、清盛公に背くことなど できるものではない。この老いた母への孝行と思って、仰せのとおり参上しておくれ」と、涙ながらに 翻意を迫られ、やむなく清盛の館へ赴きました。

仏がとめるのも聞かず清盛は祇王に舞い踊れと仰せられます。
祇王は清盛と仏の前で 「仏(仏御前ではなくブッダのこと)もむかしは凡夫なり。われらも遂には仏なり。 いずれも仏性具せる身を隔つるのみこそ悲しけれ」と舞い踊り、お側に居る人々は涙を抑えられない のでした。
祇王にはこの上ない辛さだったのでしょう。帰宅すると「都に居ればまた同じような思いをしなけれ ばならないでしょうから、いっそ死んでしまいたい」と嘆くばかり。祇女も「わたくしもお供します」 と手を取り合って西の方を眺めていました。刀自はそんな二人を見て娘二人に先に逝かれて自分も 生きてはゆけない。一緒に死ぬ気になります。
そうなれば、祇王もそんな親不孝はできません。そこで、死ぬのを思いとどまり髪をおろしました。 刀自も祇女も髪をおろし、三人揃って嵯峨の山里で仏門に入ったのでした。
その時、祇王二十一歳、妹の祇女は十九歳、母・刀自四十五歳でした。

山里でも季節は巡り、翌年の秋のことです。
三人が念仏を唱えていた夜更け、戸を叩く音に出てみると尼の姿になった仏御前が立っていました。 仏は「ご恩を受けたあなた様を追い出すことになってしまい、心苦しく存じておりました。また、 わたくしもいつ同じ目にあうやもしれません。そんなことを思いますと、清盛様のご寵愛すら全く 嬉しくもなく、お揃いで出家を遂げられたと承り羨ましくてなりません。この世の楽しみに耽る 虚しさに辟易として、忍んで出て参ったのです。どうぞ、この尼姿に免じてこれまでのことはお許し 下さいませ。そして、許していただけるなら、ここでみなさまとご一緒に念仏して後生を願いとう ございます」と熱心に頼むのです。
祇王は「あなたがそこまで気になさっているとはつゆ知らず、お恨みしたこともありましたが、その 恨みも晴れました。私たちは世を恨んで出家いたしましたが、あなたは何不自由ない身で、しかも 十七歳という若さで自ら髪を下ろされました。何という尊いおこころでしょう。あなた こそ私たちを極楽へ導いて下さる方です。ご一緒に後世を願いましょう」と涙ながらに答えました。 こうして、こうして祇王一家と仏は、日夜余念無く仏道に励み、みな往生の本懐を遂げたのでした。

祇王と仏御前という二人の白拍子は結果的には共に出家しますが、その原因は大きく違っています。 そこらあたりを考えてみるのも面白いかもしれません。


白拍子
「北斎戴斗改為一筆」