おそらく重盛の同母姉ではないかと推察されています。重盛が1138年の生まれです
からそれ以前の出生ということになり、その頃の平家はようやく忠盛が内昇殿を許された時期です。
忠盛と清盛父子はは勢力拡大のためにさまざまな手段を講じます。 そうした背景の元、長女は後
白河法皇の近臣である藤原信隆に嫁がされました。そして、信隆にとっては五男にあたる隆清を生み
ます。隆清は参議まで登りましたから彼女の人生に大きな波乱はなかったのかもしれません。
和歌や絵画、花結びなどに優れた才女でした。その上、宗教心が強くて持仏堂に入って、毎日『法華
経』を唱えていたそうです。 この人についての資料はこの程度しかありません。もし、長命で
平家没落まで生存していたとしても、おそらく同行はせずに持仏堂で祈りの日々を送っていたものと
思われます。
|