坂田茂雄『死者の街』

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『ここは、地獄の三丁目……』

 そこまで大袈裟なことを口にするつもりはないが、ここが紛れもなく過去の世界――黄昏の世界であることに、異を唱える人間はいない。

 多くは老人だが、様々な年代の人々が街路樹の似合う通りを闊歩し、閑静で瀟洒な住宅街、街の隅に林立するビル街、間が狭く、迷路のように細い道がどこまでも続いていく下町など、多種類の景色が混ざり合う。銀杏並木に、桜並木、樫の梢に、杉林……。池のある公園に、運動場のある景色、ゲートボール場、囲碁や将棋の会館、河の流れを見下ろす小高い土手。緑豊かな小高い丘、長く曲がりくねった坂道、神社の境内、お寺の門、大きな竹林……。どこかで見た肌に馴染みやすい景色の連なりに、懐かしい顔ぶれが重なっている。挨拶を交わし、ちょっとした世間話に花を咲かせる。盆栽を丹念に手入れする背中、綺麗に刈り揃えられた生垣。街角で、家の前で、縁側で、笑顔を絶やすことのない人間達の姿が窺える。

 ――富さん、こんにちは。

「あら、こんにちは。久しぶりねえ」

 声をかけられて、初めて気づいたというように、曲がっていた腰を伸ばし、外見に似合わない若々しい声を上げる。昨日会ったばかりなのに、久しぶりというのは、いつものこと――口癖というやつで、ここではもっとも重要なもの。

 ――調子はどうですか?

「いいわね。今日は腰の方もいいのよ」

 声がひずみそうなほど聞きなれた台詞――もちろん、実際に、ひずみはしない。ある意味、それは変わらないことを示している。この世の中、変化していくのが普通、場合によっては、変わることを強制されることだってある。でも、ここでは誰もそれを求めはしない。むしろ、変わらないこと――同じであることが、当然のことですらある。

 ――今日も異常なし……。

 声になりかかった言葉は、しかし、形をなす前に、喉の奥でしぼんだ。見覚えのある背中が、視界の奥をゆっくりと去っていく。大きい、広いというより、細いという言葉が似合う背中。色あせたジージャン、ジーンズという代わり映えのない姿、長めというより、不精で伸びたぼさぼさの髪……。

 愕然とした。針を刺された時に似た痛痒が、落ちていく汗と逆方向に、じわじわと背筋を這い登っていく。

 小高い丘を背にした住宅街――。アスファルト舗装の色あせたの細い道は、すべての終着駅であるかのようにそこを目指していた。真っ直ぐではなく、右に左に大きくつづら折れ、色とりどりの屋根と外見、緑色の庭で飾られた静かな佇まいの家々を縫っていく。

 真っ赤な夕日が、今にも小高い丘に隠れようとしていた。家々の陰は不吉な長い手足を伸ばし、黒いアスファルトに刻みつけ、その場にいるものすべてを取り込む。

 去っていく男の影は、すでに闇に同化していた。背中だけが、何かを最後の瞬間、訴えかけるように、光の原色を残している。

 ――嘘だ。あいつは死んだんだ。

 痺れたように足が動かないまま、呟きだけが溢れていた。

 ――ビクン……。

 身体が一度大きく震える。鳥肌が全身を覆っていた。思わず肩を抱く。

 見覚えのある背中が、不意に歩みを止めた。振り返る。そして、霊的なものででもあるかのように、闇の中に掻き消えた。

 だが、それで十分だった。死んだはずの弟の姿を、そこに見出すには……。


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